2009年12月24日 (木)

2009年を振り返って

今年最後の更新です。
ようやく1年が終わったと感じますが、漫ろに振り返ってみると今年もいろいろありました。
中でも夏に行われた総選挙とそれに伴う政権交代は非常にインパクのト大きい出来事でした。
何年、いや何十年先になっても2009年は政権交代の歴史として語られることでしょう。
その結果の善し悪しではなく、それが起こったこと自体が語り種であると感じます。
しかしながら行政の現場レベルではいまだに混乱が続いています。
来年1月には社会保険庁が解体され日本年金機構が発足しますが、一連の動きには政党の思惑によって散々振り回された挙げ句の付け焼き刃的改革という不満を抱かざるを得ません。
民主党政権になっても抜本的な改革は未だ着手されていないと見るべきでしょう。
政権交代は確かに今年最大のキーワードですが、そのキーワードを使って何を読み解けばいいのか、現場レベルでは五里霧中です。
すっきりしませんよね。
このような1年を振り返って思い浮かんだ言葉は「紅旗征戎吾が事に非ず」という藤原定家の言葉です。
世の乱れや変革に我は一切関知せず・・・と後ろ向きな意味に解釈されがちですが、そうではなくて、むしろ為政者の勝手気ままに振り回されるのであるならば、それに背を向ける覚悟を持って各自の仕事に没頭する「個の自覚と実践」のスローガンとしてこの言葉を引用したい。
そのような気持ちがふつふつと沸いてきます。
ちなみにこの言葉は定家19歳の志操とされ、多くの現代人を刺激してきました。
実際は晩年の言葉であるとするのが定説ですが、そうであるならばなおいっそうの深みを感じます。
我々は定家のように孤高を誇る歌人ではありませんが、つまらない妥協を強いられるのであれば「吾が事に非ず」と突っぱねる意気込みくらいは持ちたい。
年の瀬にぼんやりとそのようなことを考えています。

話が抽象的になってしまいましたが、今年も様々な人の支えを頂きました。
人の縁は何よりも大切ですね。
一方的に縁に預かっているだけではなく、自身も自身を他者の縁にしているのかも知れないと気づかされます。
月並みな表現ですが、持ちつ持たれつの関係が大切だと言うことなのでしょう。
来年が今年よりももっといい年になるように願います。

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2009年12月17日 (木)

高齢受給者証

以前にも同じテーマでブログを更新したかも知れませんが、70歳以上75歳未満の国民健康保険加入者に交付される高齢受給者証についての問題です。
先日知り合いの医師と時節柄の会話をしたときに、ひょんなことから「70歳以上の患者さんで1割負担になることを知らないまま3割支払っている人が多い」と聞きました。
宜なるかな、です。
なぜなら高齢受給者証は国民健康保険証とは別個に地方自治体から年2回交付されるものであり(小平市の場合)、その郵便物を不注意にも見過ごしてしまう可能性があるからです。
大半の方は役所から送付されてくる書類を一つ一つ精査しません。
面倒臭いというものぐさ根性を擁護するわけではありませんが、役所から届く郵便物の中には日常生活をする上であまり重要ではない書類(この表現は語弊がありますが感覚として伝わるかと思います)も多く、本当に大切な書類なら一般郵便では届かないだろうと高を括ってしまうケースも間々あると思います。
比較するのもおかしいのでしょうけど、たとえば税務署から届く郵便と、市役所から届く郵便では受け取る側の意識に多少の違いがあると思うんですよね。
郵送が悪いのではなく、郵送する際に被保険者の注意を喚起するような文字・印刷などを考慮すべきでしょう。
これが一つ目の問題点。
もう一つは意味を知らないということです。
国民健康保険に加入している場合、乱暴に表現をすれば「もう保険には入ってるよ」と認識してしまい、国民健康保険証と併せて呈示しなくてはならない高齢受給者証の制度上の意味が理解されていないということですね。
実はこのケースが非常に多いのではないかと推測されます。
つまり「前期高齢者」と「旧老人保健法」の関係がよく分からないまま、漠然と75歳になったら負担割合が変わるのでは?と思い込んでしまうケースですよね。
この場合、高齢受給者証に対する関心はさらに薄くなってしまいます。
さらに問題点を挙げるのなら、通常の保険証と高齢受給者証のサイズが全く違っており、二つを同時に呈示する(二つを持参する)ことの障碍となっているという点でしょうか。
これも行政手続き上の原因だとは思うのですが、不親切と言えます。
我が家では国民健康保険証と高齢受給者証を同じクリアファイルに入れてセットにしておりますが、現行の制度が続く以上これがベターな方法なのでしょう。
いずれにせよ1割負担になることを知らずに3割で払ってしまうという事態は、社会保障の制度趣旨から見ても由々しき問題です。
何歳になったら幾らの自己負担になるのか、行政任せにせず、自己防衛と思って積極的に学ぶ必要があるのかもしれません。

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2009年12月 8日 (火)

定額給付金

今年も一年を振り返るような時期になってきました。
どの年もそうですが、振り返ってみるといろいろあったと気がつかされます。
気がつかされるということはその大半を忘却している証左でもあり、日々の生活の積み重ねが、時時に起こったことを「昔あったこと」として記憶の片隅に追いやっているその世知辛さに苦笑せざるを得ません。
集団の記憶は想像以上に速く忘れてしまうと言われますが、人々の記憶を年末大掃除すれば埃にまみれた「お宝」を発見することになるのかも知れませんね。
ところで、忘れてしまった代表格が定額給付金だと思うのですがいかがでしょう?
選挙前と言うこともあり、メディアを通して大々的に報道された給付金ですが、そもそもその効果はどれだけあったのか?
政権が交代したからその成果は掘り下げない・・・では無理が通れば道理が引っ込むというものです。
効果を示して、政策の評価材料を提供することは為政者の義務ですよね。
そして国民はそれを知る権利を有します。
試しにネットで検索をしてみましたが、公式な数字として発表は(現時点では)されていないみたいですね。
「あの騒ぎはなんだったんだ?」という疑問に対する解釈をもっと声高に叫んで求めないといけないような気もします。
似たような例では、タバコ自販機に導入されたタスポがあります。
未成年者の喫煙を未然に防ぐことが目的だったタスポの導入、これもきちんとした数字・統計でどれだけの効果があったのかという評価材料が欲しいです。
定額給付金にタスポ・・・。
いずれもちょっと前の出来事ですから思い出すのは簡単です。
でも思い出しついでに「どうだったのか?」という疑問符を付けなくては「昔起こったこと」の一つで終わっちゃいます。
簡単に忘れずにしぶとく思い出すこと。
市民としての仕事の一つかも知れませんね。

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2009年12月 1日 (火)

上代の国語

51pm3wyomsl__ss500_ 久しぶりの雑談更新です。
最近になって思い出したように国文学関連の書籍を読んでいます。
特に橋本進吉の「古代国語の音韻に就いて」は非常に面白いですね。
この書物と、伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」は大学一年生の時に必読書とされ、前者は言語学へのイントロダクション、後者は近代文学へのイントロダクションとして重要な役割を果たしていました。
古代国語とは聞き慣れない言葉だが何か?という疑問から始まると思うのですが、たとえばア行はアイウエオですよね。
ではヤ行はどうでしょう?
一般にはヤユヨと略して覚えているのではないでしょうか。
ところが正式な五十音ではヤ行はヤ(イ)ユ(エ)ヨです。
でもこれではア行のイエとヤ行のイエが重なってしまいますよね。
「イ」の場合はア行と重複するため省略されてます。
では「エ」も同様にア行と重複するため省略されているのでしょうか?
ここが問題なのです。
エの場合、単なる重複ではなくて、大昔はア行のエとは異なる発音をしていたんですね。
すなわちア行のエとヤ行のエは本来違う発音をする別の語だったと言えるのです。
大昔はヤ行のエは「イェ」と発音されていたことが分かっており、それらは平仮名が成立する以前の万葉仮名においてはっきりと区別されていたんですね。
もう一つわかりやすい例を出せば、「ゐ、ゑ」という仮名遣いがありますが、これらが「イ、エ」と何が違うのか、その答えもやはり発音が違っていたということになります。
このような研究はすでに江戸時代に発見されてかなり解明されていました。
そして江戸期における先人の研究の成果を引き継いで、明治以降様々な国語学者が生涯をかけて研究をして、さらに新しい発見をしていったのですね。
この書物は戦前の講演を収録したものですが、著者の語りには遠い江戸時代の「先輩学者」に対する尊敬の念に満ちあふれていて、非常に滋味溢れる内容となっています。
一般に文学を専攻しましたと言うと、すぐに文学青年を思い出すのでしょうけど、実際の「文学」はこのようにとても技術的要素の高い学域・学類であると言えるのでしょう。
興味のある方にはお薦めの書籍です。

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2009年11月28日 (土)

ブロック会

昨日は東村山駅に隣接する「ワンズタワー」にてブロック研修会が行われました。
武蔵野支部は現在ブロックに分かれており、私が住んでいる小平市と東村山市の両市を併せて第4ブロックを形成しています。
年に1回行われるブロック単位での研修は、支部単位の研修とは違って参加する人々との間柄が親しいことが多く、一衣帯水の懇ろな雰囲気があるんですよね。
普段の業務の中で人に尋ねるほどではない小さな疑問点なども、このようにブロック単位で集まった場所では誰彼を問わず気軽に相談できることも魅力です。
さて、昨日の研修会では年金に非常に詳しい先生が講師を務め、予想外に内容の濃い充実した勉強会になりました。
中でも私が特に興味を感じた論点が、「どんなに低い給料でも厚生年金の加入月数が増えれば年金はアップするのか?」という疑義です。
この問いに対しては「いや、標準報酬月額が下がれば年金額はそれに比例して下がるのでは?」と思いがちですが、報酬比例部分および定額部分共に数式を用いれば明らかにこの命題は正しいと立証されることに驚きました。
ただし、例外があって、「昭和32年10月前に加入期間があり、昭和32年10月から昭和51年8月までの期間に新たな厚生年金加入の期間が見つかり、それによって加入月数が増えた場合」は、年金額が下がる可能性があるとのことです。
すなわち昭和32年10月以前の平均標準報酬月額は、昭和32年10月~昭和52年7月までの平均標準報酬月額を用いるため、昭和32年10月前で加入期間が見つかった場合は年金額が増えることになりますが、当該期間の(最中に)見つかった場合は平均標準報酬月額が「下がって計算される」形になりうるというんですね。
私も完全に理解したわけではありませんが、講師の先生が用いた図表と数式を見ると、漠然と理解できたような気がします。
これは一例ですが、やはり年金を極める場合、数式を利用するととても簡単に結論が導けるなぁと感じました。
目から鱗とはこのことですね。
事情があって研修後の「飲み会」には参加しませんでしたが、非常に有意義な研修だったと思っています。

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2009年11月20日 (金)

賀詞交歓会

来週、来年初頭に行われる賀詞交歓会の打ち合わせがあります。
来年で4回目のお手伝いになるこの「祝宴」ですが、縁あって武蔵野支部の総務委員会のプロジェクトチームに参加するようになって、初めて見た光景も多々あります。
それはたとえば代議士の先生方の立ち振る舞いであったり、高名な先輩同業者のアドバイスであったり、いろいろ琴線に触れることがあるんですね。
若い頃は虚礼廃止の進取の気性を意識していた私ですが、最近になって長く続いてきたものを頭ごなしに虚礼と決めつけて不参加を表明するのは損だなと感じています。
たとえ型通りの社交であっても、その中から自分にとって有意義な言葉の一つや行動の一つを見つけることは意外と簡単なことなんですよね。
宴たけなわな時に、ロビーで一服している同業者から「本音」を伺うこともありますし、それによって一年の仕事に対する気持ちが変わることだってあり得ます。
要は考え方一つということでしょうか。
とはいえ、形式的な挨拶、会話、祝辞の中で自らの考えをアピールしたり、もしくは自らの個性を発揮することはやはり難しい話ですよね。
それに勇気も要ります。
今までの経験上、このような社交の場で自らを売り込むのに最適な、かつ、唯一のツールは名刺ではないかと考えています。
名刺は後になって記憶を整理するときにとても重要なものですし、その名刺に何らかのインパクトを記すことは簡単な話でしょう。
座右の銘でも構わないし、年初の意気込みでも構いません。
もしくは家族構成、趣味、その他自分の属性に係ることを少し書き加えるだけで、後になって記憶を補うに絶大な効果があるんですよね。
もちろん常識的な範囲内での「宣伝」でなければならないことは言うまでもありませんが。
年に1回の大きな社交ですし、来年の催しが実りあるものになるよう、スタッフとしても頑張りたいです。

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2009年11月13日 (金)

士業における変化

時々郵便受けに司法書士事務所のチラシが投函されていることがあります。
一瞥すると債務整理に関する相談の広告が多いですね。
住所等は多摩地方でないことも多く、広範囲に営業しているんだぁなと感じます。
同時に現下の社会情勢を鑑みれば、債務整理の相談という言葉は重い響きを与えますし、個人法人の別を問わずもはや「誰かの事件」では済まされない緊迫した問題であると感じます。
ところで、司法書士と言えば登記のプロフェッションというイメージでしたが、ここ10年で大きな変化が起こっていますよね。
弁護士とチームを組んで生活保護に関する問題に取り組んだり、債務の整理に携わったり。
士業と呼ばれる職業であっても時流に敏感であり続けなければならず、それらの姿を「サービス業の一形態」と捉えるのは間違っていないような気もします。
いつまでも既得権頼りではダメということなのでしょう。
社労士業務も大きな転換期を迎えていると言われて久しいですが、ネクストステージはまだまだはっきりとした形で見えていないというのが現状ではないでしょうか。
年金問題から発展して社会保障制度全般におけるアドバイザーや、個別労働関係紛争の解決を手助けするロイヤー、はたまた経営労務監査の樹立を目指す専門家集団等々・・・
いずれの方向にも意味と裏付けがあり、今後の趨勢によってはいずれか、もしくは、いずれもが主流になっていくのかも知れません。
しかしながら社労士にとっての新しいフィールドが開けるまで、もうしばらく時間が必要なのではないかとも感じます。
また、新しい分野が出来たからと言って従来の定型業務が無くなるわけではありませんし、既得権の部分を地道にこなしていくことが大切なのは言うまでもないことです。
転換期にあってこそ不変なことにも目を遣る感性を失っては本末転倒でしょう。
なかなか難しい話ですけどね。
これからの社労士業務がどう変わっていくのか、腰を据えてトレンドを見計らいたいものです。

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