2009年11月 6日 (金)

市民相談

今日は市役所にて市民相談を担当してきました。
過去3回の市民相談では、年金不信が燎原の火のように広がった2年前に多くの相談者が来られ、一人一時間近くの時間をかけてお話しをしたのですが、ここ最近は来談者数も落ち着いて本来の市民相談の趣旨に叶った内容になってきたと感じています。
同時に来談される方の意識の向上や勉強度合いも変わってきたように思えます。
「国年と厚年」「25年」「65歳」という年金に関するキーワードをしっかりと勉強されてる方が増えているような気がするんですね。
これは(その契機が社保庁の不祥事だったとは言え)、とても良いことだと思います。
年金にせよ、税制にせよ、知らないままで泣き寝入りをしたくないという権利意識が高まることで、制度そのものに対するジャッジメントにつながりますし、制度運営者への対抗的なアドボカシーにもつながるでしょう。
何かを知ることと、何かを変えることとは常に一体の関係にあると思い知らされます。
税制の話を例に出しますが、定率減税や老年者控除が廃止されたことを覚えてる方は少ないと思います。
制度の変更(おもに改悪)は不思議と忘れ去られがちなんですよね。
来年にも配偶者控除廃止に直面することになりますが、まず「知っておくこと」が何よりも大事なことだと思うのです。
知っていれば、制度として無くなっても忘れることはありません。
すなわち何かの形で引き合いに出して、それを国策・政策に提言することもできます。
税制の例を出しましたが、年金に関してはこの2,3年でそのような土壌が出来上がってきたように思えます。
「よく分からない話」ではなく「よく知ってる話」へ。
より良い社会保障制度の在り方を考えるときに、そのような変化はとても大切だと思っています。

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2009年10月27日 (火)

エコポイント

先日部屋のエアコンを買い換えたのですが、その際の商品選びでエコポイントについていろいろ考えさせられました。
旧型は20年間使用していたため消費電力が大きく、買い換えの目的は「電気を食べない機種であること」だったのですが、最廉価モデルだと省エネ設計がされておらず、エコポイントも付きません。
ある程度省エネ設計がされており、かつ、エコポイント対象となると最廉価モデルの次のグレードを選ばざるを得なくなります。
実勢価格で2,3万円の違いがあるのですが、月々の電気代を一定期間累計すれば、何年か使ったある時点でお買い得になるというわけです。
その理屈は分かるのですが、だとしたら最廉価モデルというのはどのような購買層をターゲットにしているのかちょっと疑問ですよね。
ましてエコポイントは省エネ設計機種に付与されますから、結果として大半の人が「2番目に安い機種以上」を選ぶことになるでしょう。
そう考えると最廉価モデルはあくまで客寄せパンダと言えます。
当店ではエアコンもこれだけ安いですよ、とアナウンスメントするためのモデルと言えそうです。
さて、本題のエコポイント。
結論から言えばこの制度はとても意味のあるものだと思いますが、手続きが複雑過ぎます。
レシートのコピーや保証書およびリサイクル券のコピーが必要なのはしょうがないにせよ、自分に付与されているポイントからどの商品が選べるのか、その対象商品が驚くほど多岐にわたっていて、決めかねてしまうのです。
たとえば今回私は9000ポイントを得たのですが、商品によってはそのポイントに送料を加算しなくてはならないものもあり、9000ポイントを過不足なく使い切るためにはある程度限られた商品を選ばなくてはならないんですね(もしかしたら私の理解不足かも知れませんが、およそそのようなシステムだったと思います)。
悩んだ挙げ句、一番つぶしがきく図書カードにしましたが、事務的な申請手続きの煩雑さも含めてエコポイント制度には改善の余地がいっぱいあると感じます。
それと一番大切なのは、何のためのエコポイントか、なぜエコポイントが発生するのか、という理由を忘れてはいけないことですよね。
今回の場合、省エネ設計の機種を選んだからエコポイントが付いたという因果関係をしっかり頭に入れておかないと、単なるセールスやサービスと受け流してしまいそうです。
エコの問題は多角的な研究と議論を要すると思うのですが、制度として利用する以上、その意味を忘れてはいけないなぁと思うのです。

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2009年10月16日 (金)

市民まつり

18日の日曜日に小平市民まつりが行われますが、武蔵野支部も例年通り相談所を設置します。
社労士がこのお祭りに参加するようになって今年で3年目ですが、幸いにも過去2回手伝いをさせてもらった経験から今年は楽しむ余裕を持とうと思っています。
一昨年が35人、昨年が28人と来談者数は決して少なくありません。
中には深刻な状況と思われる相談もあり、すべてがすべてお祭りムード一色ではないことは分かっています。
人に相談をする側の立場を考えれば、日頃心の中で疑問に思っていたことや不安に思っていたことを言葉にして伝えたいという気持ちでいっぱいだと思いますし、それは本質的には「悩み」と解して間違いないものでしょう。
その思いを忖度することはとても大切です。
相談する人とそれに応える人の間には上下関係はありません。
あるのは信頼関係です。
この基本を忘れてはダメですよね。
とはいえ、信頼関係と書くと非常に堅苦しいイメージですし、ややもすればそれを優先するあまりに緊張の押し売りをしてしまうケースもあると思います。
私がこのお祭りの相談会に参加するようになって感じたことは、相談者もそれに応じる側も、他の相談会とは違ってリラックスしながら話を進めることが出来るという点です。
これはお祭りというシチュエーションが多分に影響しているのでしょうね。
最初から相談目的で足を運ばれたわけではなく、「ついでだから」と寄り道をされて話を交わす状況では、不必要な緊張をなくすことが出来ますし、結果として最初から信頼が生まれているような気もするのです。
相談業務の一つの理想型と言えるのでしょうね。
当日は頑張りたいです。

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2009年10月 6日 (火)

高額療養費

小平市から高額療養費支給申請書が郵送されてきました。
国保(もしくは協会健保)の高額療養費制度に関しては勉強上「熟知」しているはずでしたが、実際に支給申請するのは今回が初めてです。
そもそも高額療養費制度は計算が複雑で、手続き自体が煩瑣なものであると勝手にイメージを抱いていましたが、今回小平市から送られてきた申請書には、療養を受けた医療機関別に自己負担額と一部負担金の額、および支給決定額が明記されており、手元の領収書と照らし合わせて金額を確認すれば、あとは金融機関等の定型的な事項を記入するだけでよく、非常に簡便な手続きになっていました。
自治体があらかじめ算出した金額を明記して申請書を送付してくるとは全く知らなかったため、社労士として名折れな話です。
このような扱いは自治体によって異なるのでしょうか?
いずれにせよ、高額療養費という制度は「使える」話です。
一般に生命保険の商品説明等で、疾患を重ねると出費額が嵩み、その負担だけで大変な状態になると(半ば心胆寒からしむような表現で)説得されることもあると思いますが、冷静に一部負担金割合とそれに基づく高額療養費制度を考えれば、ある程度の公費負担が行われていることに気がつくはずです。
何々の病を患えばこれだけお金がかかる云々という話には、これらの公的医療保険制度が考慮されているのかどうかきちんと確かめる必要があると言うことですね。
換言すれば、一部負担金はともかく高額療養費制度はあまり知られていないということなのでしょう。
病院に払った金額が一箇月間で一定の額を超えた場合は、事後に払い戻しを受けることができる・・・
そのように大まかな理解でも構わないと思います。
制度を利用するためにはまず制度を知ること。
この姿勢は大切ですよね。

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2009年10月 1日 (木)

デフレ経済

現在の我が国は再びデフレ経済に脅かされようとしています。
先日発表された総務省の全国消費者物価指数では、比較可能な1971年以降最大の下落率になったと発表されています。
私は経済専門でもありませんし、どちらかと言えば経済で使われる数字には弱い方なのですが、それでもデフレ経済(およびインフレ経済)がどのような状態を指し、それがどのような形で実体経済に影響を及ぼすのか漠然と理解は出来ます。
教科書的に言えば、近代の資本主義経済はインフレ抑制を一つの重要な目的として動いてきました。
その一方で資本主義経済はインフレを起こしやすい要因を内包しており、一方的にインフレを抑え込むだけではなく、時としてインフレと呉越同舟しなければならない局面が歴史的にあったことも確かでしょう。
少々文学的な表現になりますが、資本主義経済はインフレと腐れ縁の関係にあり、両者は密室的関係のまま同居を続けている・・・とでも言えましょうか。
そしてデフレはインフレとコインの裏表になりますから、文字上の理屈で言えばデフレも資本主義経済の因縁と言えるのかも知れません。
様々なエコノミストが知恵を振り絞って解説を試み、そして解決に導こう努力していますが、インフレ/デフレの問題は本当に難しいなと感じます。
ところで私たちが常日頃口にするインフレ/デフレですが、これを日本語訳すると通貨膨張/通量縮小と言い換えが出来るそうです。
通貨量の問題だけではない側面もありますし、この言い換えが適切なのかどうか分かりかねますが、「何が起こってるのか?そしてそれはそもそも何が原因なのか?」という初歩的な疑問に対してはこの言い換えもなかなか分かりやすいのではないかと感じます。
経済用語に限りませんが、慣用句のように使われる言葉には本来の意味が薄まってしまい、その言葉の背景にある漠然としたイメージだけが先行して問題の本質をうっかり忘れてしまうこともあります。
デフレ経済からの脱却というスローガンは何度も耳にした話であると思いますが、そもそもデフレとはどういう意味なのか、その対義語としてのインフレはどういう意味なのか、「言葉」に関する敏感さも常に持ち合わせたいものですよね。

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2009年9月21日 (月)

国民年金の納付書

月々の国民年金保険料の納付方法にもいろいろな種類があります。
代表的な納付方法は社保庁から送付されてくる納付書により、直接銀行等の金融機関に赴いて納めるやり方でしょう(現在はコンビニエンスストアも納付受託機関に指定されて受け付けています)。
ところで、この納付書の正式名称は「領収(納付受託)済通知書」となっており、一見すると何のことだが分からないお役所言葉が使われています。
試しにこの言葉をwebで検索してみると、「これは何でしょう?」という質問がいくつかヒットします。
誰がどう見ても行政ベースで作られた言葉ですよね。
それまで会社勤めをされていた方が退職されて国民年金の納付主体になったとき、まず納付書の名称の段階で躓いてしまいます。
これは行政が内包する漢字権威主義の一端とも言えますよね。
いくつかの意味を持つ熟語を連ねることで一括りの名称とする行政用語はドライな印象を与えますし、そもそもその名称が原因で混乱を惹起させてしまうわけですから、やはり改善すべきだと思います。
この「領収(納付受託)済通知書」も「国民年金の保険料の納付書」で何ら問題は無いように思えるのです。
加えて舌足らずなのもこの手の書類に共通の悪癖です。
たとえばこの納付書の一番上の部分には「国民年金」と括弧書きで印字されているのですが、本文では納付目的が「国民年金勘定保険料」と書かれてあります。
そしてその横には「基礎年金番号」と書かれてずらりと数字が並んでいます。
国民年金、国民年金勘定保険料、基礎年金番号、この3つのテクニカルタームを明確に理解して納付する人がどれだけ居るというのでしょうか。
少し滑稽ですよね。
もちろん行政を批判するだけではなく、疑問に思ったら自らwebで調べたり、管轄の窓口に問い合わせたりする能動性も必要でしょう。
しかしながら老後人生の屋台骨になる国民年金の月々の支払いに、このように晦渋な言葉を散りばめた納付書を使い続ける姿勢もどうなのかと疑問に感じます。
分かりやすい制度と分かりやすい言葉。
当たり前のことだからこそ、切に願いたいです。

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2009年9月16日 (水)

大学の専攻学科名

雑談更新です。
私の出身学科は国文学科なのですが、私が入学した翌年に日本語日本文学科に名称が変更されました。
この改称は文学部の中で先例となり、その後英文学科や仏文学科、独文学科もそれぞれ名称が変わりました。
ただし他の学科と違って、国文学科の改称には様々な意見が内外からあったそうです。
その背景には「国文学」という言葉が持つドメスティックな印象、すなわち日本人(だけ)が専攻する学問としての名称を廃止しようという気運がありました。
たとえば国文学も日本文学も英語訳をすれば"Japanese literature"ですが、厳密には前者には「日本」という限定された意味は持ち得ません。
仮に中国の方が国文学という言葉を使った場合、それは"Chinese literature"になってしまいます(双方とも語義的には"National literature"になるのでしょうけど、これでは意味が通じにくいです)。
このことから分かるように、自国の言語や文学をそれぞれ国語・国文学と呼ぶのはアナクロニズムと言えるのかも知れません(その典型例が「国史」という言葉でしょう)。
一方で古来から使われている国文という概念を簡単に変えてしまうのはいかがなものかという慎重な意見も多数あると思います。
同時期に国文学科から日本文学科に改称した大学数は多いと思うのですが、現在でも国文学科の名称を使い続けている大学もそれ以上に多いと思われます。
この辺は難しいテーマですよね。
ただ改称から20年近くが経ち、世間一般における日本文学科の知名度・浸透度を鑑みれば、いつまでも旧い名称を肩書きとして名乗るのもどうかなと思っています。
現在、大学改革は企業社会以上のスピードで進んでおり、学部・学科名の改称・改組という流れはごく当たり前のようになってきました。
それは一見グローバル化とは遠いところにあると思われる人文科学でも同じなんですよね。
企業社会でも言えることですが、何らかの名称が変わるケースにおいて、その理由をきちんと理解しておくと物事をマクロな視点で捉えることが出来るような気がするのです。

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