2011年6月 4日 (土)

市民相談

水曜日に市民相談を担当してきました。
当日は一名の予約があり、内容は労使関係の少し複雑なトラブルでした。
幸い労務に詳しい社労士が同席していたため、相談に対する回答の半分以上をその方に任せる形にしたのですが、相談者の話される内容を頭でしっかりと理解できていても、それに対してズバリ解決できる答えをなかなか提案できないものだなと歯痒い思いをしました。
それは知識不足という面もあるのかもしれませんが、それ以上に「法律上ではこうだけど、法律上ですべてを理解してしまって、それに基づいた行動を取ることがはたしてベストなのだろうか」と考えることがあるからなのですね。
いわゆる同族会社のような職場で長年のよしみで雇用されているような労使関係においては、法でどうのこうのという話以前に、人間関係によって築き上げられた双方合意のルールのようなものが存在します。
普段はそれ自体が問題になることはないのでしょうけど、ひとたび事が複雑になった時に解決の障壁となるのがこれらの「暗黙のルール」「不文律」なのではないでしょうか。
法律は刃物のような切れ味を有していますが、その切り込みがベストな解決につながるのか、もしかしたら法律を持ち出すことなく解決に近づけることの方がクレバーなのではないだろうかと考えさせられます。
社労士が法律を扱う仕事だけではないと言われる所以がここにあるような気がします。
年金より労務相談においてこのような感触は顕著ですね。
勉強になりました。

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2011年5月30日 (月)

平清盛

来年の大河ドラマ「平清盛」の配役が発表になったようです。
この時代の文学・歴史に青春の4年間を注いだ者として、「義経」以来の得意分野で一年間楽しめそうです。
配役で真っ先に気になったのは、やはり西行。
西行は清盛と同じ北面の武士でしたし、最後まで平氏贔屓の人でした。
晩年に将軍頼朝と面談した時の相手を小馬鹿にしたようなエピソードは、「吾妻鏡」の記述から、東国武士がこの得体のしれない怪人物に腰を抜かした様子を如実に示しています。
「こいつはいったい何者なのか?」。
幕府にとって西行は単なる歌人ではなく、京の都の政治力学に知悉したフィクサーだと思われていたのでしょうね。
その一方で、西行が居なかったら宗祇も芭蕉も生まれなかったと言われるように、文芸面でもとても大きなインパクトを残しているれっきとした歌人でもあるから、本当に不思議ですよね。
他にも崇徳上皇や建春門院など、キャストの決まった歴史上の人物名を見てるだけでワクワクしてきます。
今年の「江~姫たちの戦国」もとても面白いと思うのですが、来年はガラッと変わった雰囲気でまた楽しめそうですね。

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2011年4月28日 (木)

ホームページ

私の所属する東京都社労士会武蔵野統括支部のホームページができました。
ホームページができるというお話は前に伺っていたのですが、いつ頃どのような形で出来るのか、全く把握していなかったため、検索で見つけた時は驚きました。
もしかしたら支部便り等で事前の知らせがあったのかもしれません。
広報に目を通していない「がさつな性格」の一面が出てしまいました。
それはともかく、ホームページ(ブログやフェイスブックなどのサービスも含む)の維持、管理、更新って本当に手間暇がかかるんですよね。
実際に更新にかかる時間はわずかなものですし、それすらできないほど忙殺されているということはまずあり得ないのですが、一度でも面倒に感じてしまうとついついそのままにしてしまいがちです。
私のこのブログもその典型なのでしょうけど、そのような状況に対しては「やりたくないときにやらなくてもいいのがネットなんだ」と言い聞かせるようにしています。
ところで、情報は誰に対しても等しい価値を有していると言えますが、その情報の扱い方で、その価値が上がることもあれば下がることもあります。
更新頻度が高く、訪問者の多いサイトで取り上げられるニュースはやはりそれだけ価値が高められると思いますし、その逆も然り。
一時期、時事問題に関していろいろ書いていた時期もありましたが、それを止めてしまった理由の一つは、ブログの更新頻度に自信が持てなくなってしまったってことなんですよね。
あまり考え過ぎても良くないのでしょうけど・・・。
話が脱線してしまいましたが、支部のホームページができたということで、多数の人が見られることでしょう。
それが今述べたような情報の価値の高め方につながっていけばいいなぁと思っています。

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2011年4月 6日 (水)

大震災から一箇月弱が過ぎ

東日本大震災から一箇月近くが経ちました。
前回の更新から大震災を挟んで、その凄惨な事態に大きなショックを受けてしまい、ブログ更新ももう止めようと思っていました。
ブログやTwitterで何を書いても(もちろんそれらの一部がとても有意義に伝わることは否定しませんが)傍観者の視線を拭いきれませんし、自分の生活の範囲で窮屈になったことだけを託つ内容になってしまうような気がしたのです。
だからと言って、景気回復のために自粛をやめていつもどおりにやろう!と切り替えができるほど心がタフでもなく・・・
どっちつかずの気持ちのまま、滅入った気分を焼尽する術を知らず新年度を迎えてしまったというのが偽らざる心境でしょうか。
私が愛する古典作品の一つである方丈記に大地震の記述があります。
悲惨な震災の様子を長々と書いた後に、その記述の最後は「月日重なり、年経にし後は、言葉にかけて言ひ出づる人だになし」と結ばれています。
これをどう思うでしょうか。
どんな悲劇が起きても、生活は続けなくてはならないし、生活を続けていくことこそが元に戻る最短の道なのだ・・・
私にはそう解釈できます。
それは風化させるということではなく、まず目の前にあることをひとつひとつ解決していくことで「言葉にかけて言ひ出づる」ことがなくなっていく様こそ、真の復興の在り方だと現代的に解釈もできるのでしょう。
仕事もあります。
家事もあれば趣味もあり、選挙もあります。
まずそれらに打ち込んで、大震災前の生活に戻していくことこそが一個人レベルでの「復興」であり「元気」であり、「Pray for Japan」なのではないでしょうか。
そのような気がしているのです。

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2011年3月 8日 (火)

フェイスブック

何かと話題になっているフェイスブック(facebook)に登録してみました。
mixiやTwitterと違って、実名・実際の顔写真でコミュニケーションを図ることが原則ですので(絶対にというわけではありません)、最初は怖々だったのですが、慣れると新鮮に感じます。
もっとも社労士のような個人事業主は、ホームページやブログを持っていることが多く、「実名・顔写真」にそれほど抵抗はないでしょう。
それよりむしろ新たにホームページのような宣伝のページが出来たという部分にメリットが大きいのでは?と思います。
もちろんfacebook設立のきっかけである出身校による結びつきという売り文句は、mixi等他のソーシャルネットワークよりアドバンテージを感じますし、仕事抜きでそれを楽しむのも良いのでしょうけど、意外と昔の同級生には声をかけづらく、距離を感じることもあります。
これは学生生活と、その後の付き合いによって異なるのでしょうね。
そのようなわけですから登録したものの何も書いていない状況で、暗中模索しているわけですが、フェイスブックを通してネットにおける実名の流れはじわじわと感じます。
それは匿名(ハンドルネーム)のアンチとしてではなく、使い分け、棲み分けが出来てくるということなのでしょうね。
そうなるとネットがバーチャルで、ネット以外がリアルという単純な二元論も少しずつ意味が変わっていくのかもしれません。
同時に実名だからリアル、匿名だからバーチャルというステレオタイプな感覚に対しても、もう一度再解釈が起きるのかもしれません。
我々が認識しているネット上におけるリアルとバーチャルって、実名や匿名のように定型的な言葉で説明しないとすんなり落ち着かないことが多いですし、そのあたりが感覚的に変わっていくのかなぁとも感じています。
いずれにせよ次から次へといろいろなサービスが登場して、勢いに圧倒されます。

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2011年2月20日 (日)

史伝後鳥羽院

史伝 後鳥羽院

著者:目崎 徳衛

史伝 後鳥羽院

ここ最近、思い出したように後鳥羽院に関する書籍を何冊か読んでいます。
学生時代はその歌風に惹かれていろいろ読んだり、研究まがいのことをしたり、とても親しい存在だったのですが、文学から遠ざかること20年近く、ようやく最近になってまた歌が恋しくなってきました。
後鳥羽院と言えば、その政治家としての評価と、歌人としての評価が両極であることが常で、政治家としては何といっても鎌倉幕府と戦った「承久の乱」で有名です。
そしてたびたびこれをもって、その失政を指摘されます。
また浄土宗および浄土真宗(真宗)においては「承元の法難」のような「弾圧」で知られることもあるのでしょう。
一方で歌人としては新古今の勅撰で国文学史に金字塔を打ち立てた人物でもあります。
政治家としての野心と歌人としての矜持と。
このような内在する相互対立こそが近世・近代とは違った中世的人間像なのかなぁとも思うのですが、ひとつひとつの歌に清濁併せのむスケールの大きさを感じるのも、定家のような職業歌人とは違って、為政者として「なにもかも」やらなくては気が済まなかったトップの気骨が滲み出た結果なのかもしれません。
それにしても後鳥羽院歌壇と称されるあの時代の歌人たちの個性的なこと。
俊成・定家親子だけでなく、半ば伝説化が始まっていた西行、いつも冷徹に世の中を見ていた慈円、人間嫌いの代表格のような長明、後世まで女性の恋心を代表し続けた式子内親王・・・etc
思い浮かべるだけで楽しくなるのですが、これも文学の徒の血なのでしょうか。
文学に想像が欠かせないように、歴史にも想像は欠かせません。
紹介した本は西行研究者として有名な著者が、雑誌に連載していたコラムを没後に集めて一つの史伝と為したもの。
分かりやすい文章がとても好印象です。
後鳥羽院を中心に歌に生きた人々の、歌と、歌以外の部分とを想像して無聊を慰めるのもなかなかです。

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2011年2月 6日 (日)

さようならテレビ

随分前から亡父の部屋にあった大きなブラウン管テレビを知り合いの電気屋さんに頼んで処分してもらいました。
大人二人がかりで持ち運ぶほどの大きさと重さの代物なのですが、数年前に私一人で1階から2階まで運んだこともあり、その頃の若さを少々懐かしみつつ、廃棄されるテレビに別れを告げました。
さてここで地デジ対応液晶テレビ登場・・・と本来はなるのでしょうけど、考えるところあって買い控えしています。
しばらくテレビなしの生活に慣らしたいんですよね。
もともと私はテレビよりラジオが好きで、部屋にはSONY製の結構玄人好みな受信機を置いて聴いているのですが、今回の地デジ移行に伴う様々な出費に託けて「テレビ不要人間」を気取っているのかもしれません。
私だけではなく、周囲にも何人かそう宣言している人もいます。
やせ我慢かもしれませんが、やせ我慢だって長く続けば立派な習慣になっていきます。
テレビにおけるコンテンツの貧弱を騒ぐつもりは全くないのですが、ラジオの方が語りかけてきてくれるような温かみがあり、情報の押し売り・情報の強要も少ないような気がしています。
そのテンションが私に合っていると言うことなのかもしれません。
まぁ翻意することも十分考えられますし、絶対にテレビは見ないというわけではないのですが、しばらくテレビなしの生活を楽しみたいと思っています。

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